宿と食事の思い出新島抗火石調査会の長老が語る新島の魅力 しょの七

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皆様、大変ご無沙汰しました。また少し間が空いてしまいましたが、再開したいと思います。

石造りの民宿

初めて島に行った平成11(1999)年の11月はお天気に恵まれ、秋晴れの素晴らしい調査日和となりました。この時はしっかい調査[1]が完了せず、2回目は翌年の平成12(2000)年のゴールデンウィークになりました。

当時の我々の宿は民宿岩本というIさんの奥様の同級生の実家が営んでいる民宿でした。現在は営業をしていませんが、抗火石の主屋を改造した建物で、主屋に家族の住まいと食堂・客室があり、その脇に客間を新設して営んでいました。

そこにある石倉も木骨石張2階建ての抗火石造でした。新島の石倉は2階建てで1階を物置、2階を居室としていることが多いのですが、民宿岩本の石倉も同様の造りでした。当初は2階の居室は使用されていませんでしたが、石造りの建物調査をしている我々にとってはとても魅力的であり、石倉の2階に宿泊させていただけないかお願いしたところ、修理などを行い3回目くらいからは石倉の2階に泊めてもらうことができました。

Iさんは奥様の実家に宿泊していましたが、その他の調査員は石倉の2階で、6畳二部屋にあった建具を取り払い一部屋にして雑魚寝でした。全員30歳を超えていましたが、気分は修学旅行でした。

Iさんの奥様の実家でお食事をご馳走になりました

2回目の調査も前回と同じメンバーで行いました。4月28日の夜に出て29日から3泊した記憶があります。

島での2日目にあたる4月30日は朝から雨が降り調査をすることができず、宿でダラダラ過ごしていました。するとIさんから「実家のお母さんがお昼ご飯を食べにおいでって言っているよ。」とお誘いをいただき、4人で実家にお伺いしました。食事とともに新島の芋焼酎「島自慢」も用意していただいていました。

しかし、奥様の実家は飲酒をする方がおらず、家にあったお酒は呑兵衛の調査員4人(とIさん含めて5人ですね)であっという間に飲み切ってしまい、お母さんが慌てて買いに走って下さるという大事件を起こしてしまいました。ビールも出していただきましたが、王冠にうっすらと錆が浮いているほど熟成されたビールでした。飲酒をしない家庭ではそんなことになってしまうのですね。

その時にご馳走になった食べ物が大変印象に残っています。新島と言えばほとんどの方は「くさや」を思い出すでしょう。「くさや」も大変おいしかったのですが、その他に「たたき揚げ」なるものをごちそうになりました。新島では漁をして、ある程度の大きさの魚は「くさや」にしますが、それ以外のものは「たたき」というすり身にし、素揚げにして生姜醤油で食べたり、鍋や味噌汁の具材としてつみれ状にして食べるそうです。

次回は新島の食べ物について詳しく書きたいと思います。

注釈

  1. ^悉皆の「悉」にはことごとく・残らず・すべて、「皆」には全部のもの・みなという意味があり、対象物すべての調査を行うこと。