附属屋

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オーヤを取り巻く建物を附属屋と言います。附属屋にはさまざまな建物があり、これらの附属屋はオーヤと一体となって人々の暮らしを支えてきました。そのうち代表的なものを紹介します。

インキョ

新島には親子二世代の夫婦が同居しない「隠居制」と呼ばれる伝統的な生活習慣がありました。

隠居制の下では、ある家で代替わりがあった時、先代当主の夫婦はそれまで住んでいたオーヤを離れ、敷地内にある別棟の建物に引っ越してオーヤを子の世代に引き渡しました。このときの引っ越し先の建物をインキョと言います。

基本的には先代当主の夫婦しか住まないため、建物の規模はオーヤよりもだいぶ小さいものになります。

インキョは新島での暮らし方を伝える建物と言えます。

倉は家財道具や衣類などを保存、収納しておく建物を指して言います。

倉の外観は、いわゆる石倉のデザインというよりも、土蔵のデザインを意識して作られているものもあります。

新島の倉には、建物のすべてを保存、収納のために使うのではなく、1階部分を物置、2階部分を居室と小さい台所にしているものがあります。また、1階部分に便所を併設しているものもあります。

居住部分はその家の長男を結婚させるために作ったと言われています。家にもよるかもしれませんが、聞いたところではお嫁さん候補としばらく暮らしをともにして、お互いに相手のことを見極めたうえで結婚したそうです。

2階へつながる階段は、建物内部に階段が設けられている内階段と呼ばれるもので、1階の物置部分から階段室につながるものや、階段室専用の出入口があるものなどがあります。

この建物もインキョと同様に新島での暮らし方を伝える建物と言えます。

カマヤカタ

カマヤカタは火を使うヘッツイ(カマド)や風呂などをひとまとめにした建物で、次のような三つの形式が見られます。

一つ目は、オーヤに隣接して独立した建物として建てる形式です。この場合は、オーヤとは別棟で新たに建てるため、カマヤカタを新築することになります。

二つ目は、オーヤを延長して石積みとして建てる形式です。この形式はオーヤの外壁を延長させて、カマヤカタの空間を作るため、外壁の模様が不連続になる特徴があります。この場合、床面積が増えるためカマヤカタを増築したことになります。

三つ目は、オーヤの内部を間仕切り、耐火性能を増すため内装を石張りにして建てる形式です。この形式は既にできているオーヤの内部空間を間仕切ることで、カマヤカタの空間を作るため、壁の模様が連続したままになります。この場合、床面積は変わらないのでオーヤの一部をカマヤカタに改築したことになります。

いずれの形式でも、カマヤカタはその機能から、台所の機能を持つタルモトに隣接して建てられました。

建物だけではなく、カマヤカタの中にある風呂釜やヘッツイ、またヘッツイからつながる煙突もコーガ石で作られていました。

屋敷構えの項で書いたように、冬の新島は西風が強く、それにより火事が大きくなりやすい環境です。カマヤカタは家から火を出さないよう、火を扱う設備をまとめた「新島の知恵」とも言える建物です。

セーゾーバ

耳慣れない名前ですが、これはクサヤを製造する場所、せいぞうのことです。

家によってはセーゾーバだけではなく、クサヤ汁を保存しておくふねと呼ばれる容器もコーガ石で作られていました。

江戸時代の新島では、とれた魚を保存するために、内臓を取って水洗いした魚を塩水に漬けて干していました。当時、塩は年貢として献上するものであり、庶民の間では貴重品であったため、塩水は捨てることなく繰り返し使ったそうです。そうしているうちに、後にクサヤ菌と呼ばれる菌が塩水の中で繁殖することで塩水はクサヤ汁と呼ばれるものに変わっていきます。この作り方から、クサヤの呼び名が一般化する前は、島では「ショッチルボシ」と呼んでいたと言います。そして、クサヤ汁を使うことで独特の香りと旨味がもたらされるようになりました。

セーゾーバで加工されたクサヤは、敷地内の前庭で干してから保存され、食卓に上がりました。

今では自家用としてクサヤを作る家はほとんどありませんが、かつては家ごとにクサヤを作り、その味は「家ごとに違う」と言われていました。

セーゾーバは新島の暮らしを食の面から支えた建物でした。

豚舎

今では信じられないかもしれませんが、かつての新島では養豚が盛んに営まれていました。1965(昭和40)年には2,000頭を超える豚を飼育していたといい、村の主要な産業の一つに位置づけられていました。

しかし、昭和40年代半ばの離島ブームをきっかけに、高度経済成長期になると島の産業の中心が農業・漁業といった第一次産業から民宿・土産物店といった第三次産業へ大きく変化しました。それに伴い養豚農家の件数は減少し、2013(平成25)年以降は養豚が行われなくなりました。

現在、新島では養豚を営んでいる家はなく、豚の飼育もされていませんが、当時をしのぶ建物として豚舎が今でも残っています。

便所

かつてはオーヤの中に便所はなく、外便所が独立して建っていました。倉がある場合は、倉に併設している場合もあります。建物だけではなく、尿にょうを溜めておく便べんそうをコーガ石で作ったものもありました。

溜まった屎尿ははっこうさせて堆肥として使用しました。離島ブームが起こる前に盛んだった新島の農業にとって、作物を育てるための堆肥は欠くことができない貴重なものでした。

かつてはオーヤの中ににおいがこもらないことや、外で作業をしている際に履き物を脱がずに入れることなどから外便所が普通でしたが、生活の変化に伴い現在はオーヤの中に水洗便所が設けられるようになりました。このため、建物の用途を便所から物置に変えているものもあります。

新島では前田家住宅外便所が初めて国登録有形文化財になりました。