調査会の活動内容新島抗火石調査会の長老が語る新島の魅力 しょの六

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皆様、大変ご無沙汰しました。また少し間が空いてしまいましたが、再開したいと思います。

調査開始!

いよいよ新島に到着しました。調査の開始です。まず行なったのはしっかい調査[1]です。

当時はIさんの奥様の実家がレンタサイクルを営んでいたので、調査員5人はそこで自転車を借りて新島博物館に向かいました。そこで対応してくださったのが、当時は新島博物館の職員だったUさん(現在は新島文化財審議委員会会長)でした。全面的に協力してくださり、そのおかげで調査することができました。Iさんが調査前に新島村役場に問い合わせたときにも対応してくださり、白地図などを提供してくださった方です。ある意味、我々の島流し(もとい、島調査)の片棒を担いだ方と言っても過言ではないのかも。

Uさんは「貴重な抗火石の建物ですが、村では調査などは行えておらず、皆さまに調査していただくことは村にとっても大変助かります。」と言い、博物館の腕章を貸してくださいました。

調査の方法

悉皆調査の方法は、建物のある家を突然訪ねて「抗火石の建物に大変興味があり、建物を調査しています。こちらの敷地内に建つ抗火石の建物についてお話を伺いたいのですが……。」と各建物の所有者や居住者の方からその建物の規模や用途・歴史などのお話を聞いて回り、地図に位置をプロットし、調査表としてまとめていく作業です。今の時代にそんなことをしたら「変な奴らが来たぞ。特殊詐欺じゃないのか?」などと思われ通報されかねないですよね。当時の島民の皆様はそんな我々を受け入れていただき、快く話をしてくださいました。中には怪訝そうな顔をする方もいましたが、そんな時は貸していただいた腕章が効果を発揮し、話を聞くことができました。

調査は二人一組で、二人のTさんが本村一丁目、Oさんと小生が本村二丁目を担当して開始したと記憶しています。Iさんは遊軍として両方の様子を見ながら特質的な建物の聞き取りに参加するという形で行いました。

我々が調査対象とした建物は石積みまたは木骨石造の建物で、目安としては昭和初期ころまでに建てられたものです。その後、RC[2]造で外壁を石張りとした建物もありましたが、RC造の建物は調査対象外としました。

木骨石造は木造の骨組を造り、外壁を石張りとする建物です。石積みよりも規模の大きな建物の建築が可能で、オーヤ(主屋)・隠居・店舗などは木骨石造が多く見られます。蔵は規模によって石積みだったり、木骨石造だったりで、2階建ての建物は木骨石造になります。蔵より小さい建物は石積みが多いです。

最初の調査は船内一泊、島で三泊して帰りは昼間になるので、実質の調査時間は3日間しか取れず、1回目の調査では本村全体の調査を終わらせることができませんでした。そのため翌年のゴールデンウィークに続きを行うことになりました。

次回は2回目の島流し(もとい、島調査)の時の大事件のことをお話しします。

注釈

  1. ^悉皆の「悉」にはことごとく・残らず・すべて、「皆」には全部のもの・みなという意味があり、対象物すべての調査を行うこと。
  2. ^鉄筋コンクリート(Reinforced Concrete)造のこと。強度が必要な部分に鉄筋を配したコンクリートの部材を用いる。鉄筋は引張力に、コンクリートは圧縮力に強く、さらにコンクリートのアルカリ性が鉄筋の酸化を防ぐことで、耐久性を向上させた構造。